「ピューと吹くジャガー」についての試論

「ピューと吹くジャガー」についての試論に関する記事です。

 
2007/04/01(日)
さて、前回は、ピヨ彦の名誉と尊厳のかかった検証があっけなく終了してしまって、本論は今、限りなくアポリア(行き詰まり)に近い状態に陥っているようです。
ここで、当のピヨ彦君が隣にいたりすれば小突いてやるところなんですが、しかし、人間の価値を、能力の優劣だけで判断するのは、やっぱり初歩的なところで間違っていると思います。

いずれにせよ、ピヨ彦の魅力に関しては、客観的に見た場合、あたかも他に褒め上げるべき美点がまるでないかのような言い方になってしまいますが、彼は”天然”である、というのが、誰しも認めるであろうポイントかと思われます。隣にいたら、とくに理由もないのに小突いてみたくなるタイプというわけです。

”天然”こそは最強の資質である──なんだか偉そうな御託を並べたわりに、ありきたりな、それこそ3流お昼のドラマの脚本家ですら避けて通るような結論で終わりそうな感じですが、私はそうは思いません。たしかに”天然”というのは殺し文句です。”天然”だからすべてが許される、などという桃色の主題に反論する気はありません──もしそれが真なる「天然」であるならば。

”天然”というのは、人間にあっては一種の逆説であります。あらゆることに非凡さを発揮するジャガーさんにとっては、この「天然」こそが最大で最後の難問となっているのではないでしょうか。というのも、「天然であること」を心がけたならば、その人はすでに「天然」であることはできません。その人の振る舞いは、むしろ演技と呼ぶべきでしょう。
「天然」は、それを追いかけるものから、逃げ水のように逃げていきます。逆に自意識は、光あるところの影のように、どこまでも付きまといます。ジャガーさんはジャガーさんというキャラを演じているかもしれないが、ピヨ彦は、ピヨ彦であることを演じてはいないのであります。

この違いを理解すると、ジャガーというギャグ漫画が、まったく異なった相貌を持っていることに気づくでしょう。
心なしか、ジャガーさんには苦悩の表情が似合う気がします。ピヨ彦に執着するジャガーさんは、心の底に苦悩を隠した喜劇役者である、と私はあえて断言しようと思います。ジャガーさんが苦労人のハメ次郎と仲のよいことを思い出してみれば、私が決して突拍子もない妄想をぶちまけているわけではないことが容易に理解されると思います。
「人生は近くから見れば悲劇だが、遠くから見れば喜劇である」このチャップリンの台詞がジャガーというギャグ漫画にぴったり当てはまる気がするのは気のせいでしょうか?

という次第で、ジャガーさんは、ピヨ彦に執着し続けるのであります。ジャガーさんの不条理な行動は、彼の不条理な心の状態のストレートな反映なのです。

「君がそばにいるだけで
僕はドキドキしてしまうよ
いや・・・・・ゴメン、今のはウソだ・・・・・・・」
(3巻のジャガーさん)

本論の冒頭に戻ります。
ハンターとジャガーは、少年誌と青年誌の中間的な存在かもしれません。ジャガーさんはピヨ彦のような天然キャラになることはできないし、キルアはゴンのような光となることはできないでしょう。この永遠に未決定な作品構造が、青年と少年との中間を、苦さを甘美さとともに彷徨するある種の読者を惹きつけているのだと考えることができそうです。


参考図書:「ピューと吹く!ジャガー関連書籍の一覧」
2007/03/28(水)
前回は、起承転結の起にあたる部分、すなわち前置きだけで1回分の投稿になってしまいました。
この分では、この小論を書き終えるまで、単純計算で、あと3回も投稿が必要になることになります。ただでさえ駄文なのにこの上冗長と来ては救いようがありません。Google様にスパム認定されでもしたらひとたまりもありませんので、さっそく本題の方へと、わき目も触れず突き進んで行きたいと思います。

ピューと吹く!ジャガー (1)
ピューと吹く!ジャガー (1)

さて、本題の焦点となる人物、すなわちピヨ彦その人ですが、まあ、身も蓋もなく言ってみれば、ダメ人間を絵で描いたような人物であります。まあ、実際絵で描いてるわけですが、それにしても、うすた氏は、サボリ学生の日常を、なぜあれほどリアルに描けるのか? 自分の学生時代を思い出して描いてるだけなのではないかと、小一時間ほど問い詰めたい衝動に駆られることしばしばであります。

ことほどさようにリアルにダメ人間な印象のピヨ彦でありますが、それは24時間ピヨ彦を監視しているであろうジャガーさんも同じ思いだと思われます。

いったい、ピヨ彦には、ジャガーさんを惹きつけるどんな隠された魅力があるのでしょうか。ピヨ彦の中には、私みたいな凡人には見抜けない素晴らしい才能か何かが眠っているのでしょうか? あるいは、ひょっとして、ジャガーさんは天才だから、誰にも見抜けないようなピヨ彦の潜在力を、ジャガーさんだけはしっかり見抜いているのだ、ということなのでしょうか?

まさか、うすた氏ほどの作家が、ジャンプ読者にそのような高度なメタ推理を要求するとは思えません。やはり、ここは凡人らしく、地道に検証してみる必要がありそうです。

ジャガー全巻を通じて、ピヨ彦がジャガーさんに優位性を見せ付けたシーンは、しいてあげるならば珍笛発明のアイデアをひねり出すことだけだったと記憶しております。あと、そういえば確か、ビリヤードでジャガーさんを上回る描写もありましたっけ。しかし、冷静に考えるならば、前者は、ピヨ彦を笛の道に引き込もうとするジャガーさんとハメ次郎の策略と解釈するのが妥当であろうと考えられますし、ビリヤードの件にしても、ジャガーさんのことだから、秘密の猛特訓でもして、一週間もすれば完全に形勢逆転なのは火を見るより明らかであります(検証終わり)。
2007/03/24(土)
タイトル:ピューと吹くジャガー
集英社ジャンプコミックス
著者:うすた京介
ジャンル:ギャグ漫画
出版:集英社 週刊少年ジャンプにて2000年~2010年まで連載
単行本:全20巻

完結セット



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ジャガーの感想

いきなりですが、ここらで、ジャガーの布教を考えたいと思います。
多分、このブログの本義は自分の好きな漫画の布教にあると思います。
いや、そのつもりでこのブログを作ったはずでした。
日々の忙しさに負けて、つい意味のない語句の羅列に終わってしまっている現状と、その現状を容認してしまっている自分に強い憤りを感じます。

さて、ところで、少年ジャンプの読者には、「ジャガー」「ハンター」あたりのベテラン作家系の漫画しか読んでないタイプがいると思います。
この二つの漫画は、ジャンプ編集における苛酷な読者アンケート至上主義の例外的存在ですが、ともに有名な休載漫画でもあります。もう一つの例外作品の「こち亀」も含めて、もはや少年という歳ではないが、かといってジャンプ離れはしていないという微妙な年齢層をターゲットにしているのでしょう。

かつて 「ハンター」のライバル的ポジションは「NARUTO」であり(現在はともかく、少なくとも、かつてはそうだった)、「ジャガー」の場合は「ボーボボ」であるように思いますが、インターネット(2ちゃんねるってはっきり言えよ)を観察していると、低年齢層、あるいは少年ジャンプの本来の主要ターゲットである、12歳前後の少年にとっては、「NARUTO」や「ボーボボ」のほうが断然面白いとか、「ハンター」や「ジャガー」は理解できない、絵が古い、などという声を聞きます。
話の内容はともかく、彼らの感性はうすたや冨樫の絵柄も受け付けないというから、私としても、世代間のギャップを感じずにはいられません。

それはさておき、この漫画の最大の疑問点であり、同時に作品の最大のコアとなっているであろう点は、ピヨ彦に対するジャガーの”執着心”であるように思われます。
この漫画を読んだものなら誰しも抱くはずの疑問点ではありますが、「なぜ?」と思う暇も与えられずに、次々に押しよせてくる高度な不条理ギャグの波に押し流され、霧のようにかき消されて、不自然なほど、というよりも、全くといっていいほど問題にされていない点であります。

しかし、一ファンである私個人としましては、この点をこそ明らかにする必要があるのではないかと、常々思ってきたのであります。と、申しますのは、この稀代のギャグ漫画が、人々の認識の中で、不条理ギャグ漫画という小さな辺境エリアに閉じ込められたままにしておくのは、いやしくも一ファンを自称する者ならば、看過すべきではないと思う次第であります。この漫画を、大部分の読者のように、笑ってオシマイ、で済ましてしまうのは、もったいないのです。

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