週刊少年ジャンプの感想

週刊少年ジャンプの感想に関する記事です。

 
2008/04/27(日)
ヂートゥの件については、ただ呆然といたしました・・・キャラ的に意外と人気あると思うし、確か新しい技を習得していたのになあ~。話を纏めにかかってるんだろうか、と邪推せずにはいられない。ゼノとかシルバとか出てくるのも、話が広がる方向とは逆を行っているということですし。ここらへんで、ハンターはキメラアント編で終わる、という人目を引きそうな説をひねり出して検索上位に持ってくる(この手は以前使いました。その方法については後ほど詳述いたします)のも面白いかと思います。

個人的に、ジャンプ漫画に関しては、差し出されたものを素直に受け取って最大限にそれを楽しむというスタンスですから、今週のハンターについても、キルアの針(イルミの呪縛)についてちょっと考えてみました。すなわち、あの針は、ゾル家がキルアに対してできる全てである、と。つまりキルアはもはやフリーなのです。なぜならば、キルアくんは全力をかけてあの針を取ったのですから!

いまごろ21号の分を書いています。今週はちょっと時間ありませんでした(TT)
2008/04/18(金)
ジャガーさんというのは、典型的な「カリスマ」を備えているとも言える。Wikiによると、「カリスマ」とは、非日常的・超人格的・超自然的な資質を有する者」。そのカリスマこそが、個性派ぞろいのガリプロ「ふえ科」を団結させるキーのようです。

Wikiによると、「カリスマ」という言葉は、もとはといえば使徒パウロが使った言葉だそうです。パウロにとってのカリスマとは、自分の願望を実現するためのツールではなく、民衆の幸福のため個人に課せられた使命というべきものだと思われます。カリスマとは、いうなれば、他者に捧げられた人。ジャガーさんは、この観点からも「カリスマ」というに相応しい人格をもっています。というのも、「ふえ科」の講師として、あのどうしようもない不協和音をまとめあげるという使命を全うしているからです。

なぜジャガーさんは素顔を見せてくれないのか? 
それは「カリスマ」だから。
ジャガーさんは常に他人にとってのジャガーさんを演じている。
エリートのしゃっくがジャガーさんに心酔したのは、ジャガーさんの中に求道者を見出したからだと、私は愚考いたします。

「ふえ科」のメンバーは、強烈な個性ゆえに、あるいは、やる気のなさゆえに、決してひとつのハーモニーを形成することはないでしょう。不協和音しか鳴らさないオーケストラをまとめあげるには、不協和音による芸術を創りだせばよい。しゃっくやポギーといった音楽界のエリートにとって、この発想はまさにコペルニクス的転回だったと思われます。ジャガーさんとは、印象主義の作曲家にとってのエリック・サティかもしれません。

以前このブログで、ジャガーさんのピヨひこに対する執着を、天然の人に憧れる自意識の人という図式で読解しました。やっぱり、私にとってのジャガーさんは、本質的に苦悩の人なのです。ジャガーさんは「ホテルリバーサイド研究所」から救出された当初は笑いというものを知りませんでした。そのジャガーさんがなぜ笑えるようになったのか、それは、笑いが他人のためになるということを知ったからだと思います(←曖昧な記憶だけで書いているので真に受けてはだめです)。

ジャガーさんはなんで緊急事態につくしを取っていたか?
それはジャガーさんがカリスマだからです。

ハンター


ハンターも、テニスの王子様みたいに「クール」で行けばいいんじゃないかとふと思った。ナックルがブチ切れしたのも、「クール」だから。まあ本音を言うと、テニスの王子様は疲れたときに読むと癒される・・・

先回りして読むと、ナックルが自分の仕事を忘れてぶちきれたのは、ナックル自身のためになるかもしれない。というのは、この戦いの「正当性」について、ややはっきりしないところがあるように思うから。

人間に有害なウィルスやらなにやらは、人間にとって常に根絶の対象であると考えるのは、論理的に正当と言い切れるだろうか。人間が作り出した知性によって人間は全てに優先することを証明するのは、なんというジャイアン的思考? ネテロ会長はキメラアントは問答無用で撃滅すべしというジャイアニズムのスタイルのようだが、ゴンやキルアは違った。虫編は後味の悪い終わり方になる予感がする。しかしハンターの読者の多くは、一般人を満足させるための予定調和なんかには興味がないだろう。
2008/04/04(金)
4月4日ってピカさんの日でしたっけ。キルアさんの日は7月7日でしたね。
今週のハンターを読んだのは月曜日。これを書いている今は金曜日。すでに桜も散り始め・・・今まで何をしていたかというと、2chの週刊漫画関連スレッドで面白い書き込みを探してました。書き込みはしてません。書き出すと、あっという間に時間がなくなるので、ずっと自主規制してます。

面白い書き込みっていうのは、自分の意見を言ってるのが面白いと思います。自分の意見というのは、換言すれば自由な意見です。自由というのは、ロジックの彼方にある幻の国・・・すなわち、思いつきで発言することです。論破されようが予想が外れようが問題ありません。

そういえば、ハンターファンの某芸能人さんが、単行本が出ないから本誌を切り抜いていると語ってましたが、正解だと思います。なにより本誌のほうが絵が大きいですし、修正の入った単行本だと、どうしても画の勢いが弱くなってます。今週のだって、キルアの表情とか本誌のほうがいいですよね。ゴンのぶち切れも、本誌サイズですら足りないくらい。ゴンはそのうち魂だけあちらの世界に行ってしまうんじゃないかって思ってますが、今週ので、それに一歩近づいたかもしれません。表情を無くした真っ黒な瞳になってました。
ゴンには、そうした動物的側面と、カイトにこだわるような直情な側面があるけど、どちらがゴンの本質であるかによって、オチも変わって来る。動物的側面がゴンの本質なら、魂はどこにも行きはしないかもしれないが、直情が本質なら、カミーユ化しか道はなさそうに思う。

キルアは、王への忠誠に縛られたネフェを無力化する計算くらいしているだろうし、それが世のため人のためになるということも分かっているだろうけど、そんなことはキルアにとってあんまり意味がなさそう。あくまで「ゴンにとって一番納得できる形は何か?」ということがキルアの至上命題のようです。
ところで、ゴンは、自分の生死よりもスタイルや流儀を優先する勝負師タイプです。ハンターの通奏低音ともいうべきキルアの成長物語とは、世にありがちな成長物語などではなく、ゴンやヒソカたちの立っている本物の真剣勝負の土俵にあがる、ということです。このことは、キルアの闘い方の変化によって、はっきり表現されています。

キルアが儚く見えるのは、そんなゴンと命運を共にすると決めているからなんだろう。そもそもキルアはゴンと違って根っからの戦士ではなく、根っからの自意識の人だった。なんとかして自分を変えなくては、ゴンと同じ闘いの土俵には立てなかった。でも、それはそれとして、キルアには、周囲を計算してゴンをコントロールするという役割がある。しかし冷静な計算というのは、無鉄砲なゴンを見れば分かるように、どちらかというと自意識の範疇だ。キルアは、自意識を生かしつつ、常に死を計算に入れなければならない──キルアがいつも見ているのは死であり、絶えず自己犠牲への決意を繰り返しているのです。最近このテーマをすっかり失念してた。

ゴンに「関係なくていいよね」と言われても、キルアは心の中で反論すらしなかったと思う。ただちょっと淋しさを感じた。でも、すぐに今は戦いモードだということを思い出す。

・・・あ~、やっぱり虫編は本誌を保存しておくべきだったとつくづく思います。

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