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2008/05/29(木)
サスケと闘う直前、イタチ兄さんが現実と幻について意味深なことを言っていました。曰く、お前が現実と思っているものは幻かもしれないんだぜ・・・と。それを見て、イタチ兄さんは現実と幻のはざまに達観して立つ人なんだと思いました。でも、こうして事の真相が明らかになった今、むしろイタチ兄さんは誰よりも現実的だった、という思いにかわりました。サスケは最後までイタチ兄さんの「幻術」を破ることはできなかった。なぜか。それはイタチ兄さんの現実のほうがより深かったからです(そういえば・・・某福本漫画で、西の原田が天に敗れたのも同じ理由でした)。

波の打ち寄せる海を見ながら、サスケは何を思ったのでしょう。結局、自分のこれまでの航路は、イタチ兄さんの幻術の中で右往左往していただけなのか。イタチ兄さんの見てきたものは、この海のように深いものだったのか。あるいは、イタチ兄さんの作り出した幻は、愛が名を変えただけの真実だったのか・・・。


PSYREN-サイレン



そういえばこの漫画って公式的にはサスペンスというジャンルだったんですね。なんとなく漂流教室のような未来ものだと思っていました。飛龍の必死の思いは、禁人種の印を埋め込まれたタツオには届かなかった。いや、届いたかもしれない。届いたからこそ、飛龍の急所をわずかに外した・・・これは来週になってみないと分からない。

ひごろ、明るい未来を描きたいとか言っているくせに、実はこういう殺伐とした世界観が好きであります。ただ、この好き、を言葉で表現するのが上手くできない。仕方なく、ふらふらと・・・。

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2008/05/16(金)

ナルト



あの軽口キャラのトビことマダラは、実にシリアスな過去の持ち主でした。マダラから見たら、木の葉の現役連中なんか真面目に取り合うに値しないってことなんでしょうか。

マダラは千手一族からの休戦協定をただ一人受け入れることができず、あげくには自分が守ろうとしたものたちからも見放されます。あらゆる正義を剥奪された後には、虚無と無目的に染められた茫洋たる荒野が残りました。己の存在確認のために木の葉と闘ったマダラは倒され、正義を後ろ盾に勝つべくして勝った初代火影は英雄になりました。

ナルトの初期の頃から、火影サイドの話にはそれほど心は動かなかったのですが、その理由がやっと分かりました──というより、火影サイドの正義の裏にある闇の正体が、ここに来てやっと明かされたということです。私が何を言っているのかというと、つまり、正義というのは悪がないと存在し得ない、ということなのです。当たり前のようなことですが、意外に忘れられがちな、あるいは忘れていたほうがよいかもしれない真理です。悪に理解の目を向けない正義はどこか白々しい。ナルトの作者は、やっぱりこの白々しさを分かってて描いてるんだと思いました。

イタチは最後まで真実を隠しましたが、マダラはウソは言ってないようにも思えます。マダラの生き様というものをもう少し深く追いかけてみたいと思いました。


アイシールド21


たった一人でフィールドに立つ決意をした雷門太郎・・・ひとたびフィールドに立ったら、すがるものは何もない。もう新庄さんのグローブは、かれの心をキャッチしてくれない。だけど「ひとりはみんなのために。みんなはひとりのために」っていうチームスポーツの合言葉があるんだぜ。なんか顔つきも一人前? コスモを見せてくれることを期待している。

そういえば、何年か前に劇場リメイクされたスクールウォーズ(昔の熱血学園ラグビードラマ)の主題歌がコンビニで流れてて、今の雷門太郎のためにある歌だと思いました。かっこいい。スクールウォーズは見たことないけど、どうしようもないチームが勝ち上がっていく姿は、なんかアイシールドと重なるかも。

孤独が〜心締め付けても〜 一人きりじゃないよ〜と〜



ハンター


いよいよ10週目です。
熱血漢ナックルの戦いの物語は、ひょっとしてこれが最終章なのか・・・と一瞬思ってしまった。そこへ天の御使いのごとく華麗に登場したメレオロン&キルアさん。こんな麗しい王道的展開がハンターで読めるとは思いもしませんでした。私は皮肉なんか言いません。宗教画のような世界に素直に感動です。永遠に向かって間延びしていく時間の流れの中、奇跡のいかづちを見てナックルは何を思ったのでしょう。

そういえば、「時間感覚」が言及されたのは、ゼノじいさんに続いて、これで2度目ですので、ちょっと考えて見ましょう。

時間感覚については、ベルグソンやバシュラールといった哲学者が面白い考え方を提示しています。

ベルグソンは時間についての理解が空間化された(空間になぞらえて考えられた)時間 についての理解、認識である事を批判し、人間が経験しているのはそのような時間ではないと説いた。・・・ベルグソンは時間を連続体として捉えたが、バシュラールは逆にそれは瞬間の連続として考えた。我々が感じる時間現象は常に現在、言い換えれば瞬間でしかないからである。 wiki 「時間」より



私の文学知識の供給源の一つであった小林秀雄も、ベルグソンにならって、時間とは「現代における最大の妄想」と言っています。そういえば、帆船の見張りがマストから海に落ちる間、異様に長い時間を感じるという話もありました。要するに、時間というのはそれほど確固たるなものではない、というのが実情かもしれません。それどころか、通俗的な時間感覚こそが、生きている実感を失わせる元凶だ、と、上記の知識人はおっしゃるわけです。実際そうかもしれません。でも、生きているという感覚に、我々の脳は耐え切れないから、時間という省エネ認識システムを利用しているのかもしれない。

すなわち、ナックルは、あの時、生きているという実感を最大限に感じつつあったのかもしれない。後々、キルアが天から救済にやってくる夢を夜な夜な見ることであろう。

雑感


やっぱ好きな漫画のことを、あれこれと書けるのは楽しいですね。世の中の悪口を書くのも楽しいですが。

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2008/05/11(日)

心の基礎代謝

たまには役に立つ(かどうかは不明)お話をしたいと思います。
基礎代謝というのは、人体における基本的なエネルギー消費量・いわば燃費のことで、ダイエットやフィットネスに関心のある方ならご存知かと思います(ちなみにダイエットの基本は、筋力・平熱・排気量(肺活量)のアップです。節食だけだと相当の確率でリバウンドが来るらしいです)。

さて、古典などを読んでおりますと、なんだか基礎代謝量の多そうな人々が活躍しています。確かにスポーツ選手の運動能力は向上していますけど、ひょっとしたら昔に比べて平均的な基礎代謝は低下しているんじゃないかと思います。特にここ数十年で、食品に含まれる栄養は相当低下しているようですし。体には基礎代謝というのがありますが、心にもあるんじゃないかと、ふと思いました。心理学では、知性、感情、意欲のバランスが重要といわれます。すなわち、筋力・平熱・排気量のかわりに、知性、感情、意欲のバランスおよび総量が心の基礎代謝に該当するのではないか? と。で、古典の登場人物は、心の基礎代謝という観点からしても、現代人よりもずっと燃費の高そうです。

もちろん基礎代謝量の多寡で人を判断しようというのではなく、重要なのは量よりもバランスなのかもしれません。危ない思想を持った人でも心の基礎代謝量が高いということもあるだろうし。ただ、その見方で文化・エンターテイメントなどを眺めると、技術的な面では昔よりも向上しているのは明らかなのですが、「基礎代謝」という点からは、低下しているのかもしれないとは思います。(5/6)

革命

ジャンプってサブカルチャーなのかメインカルチャーなのか知りませんが、ジャガーさんはその世間の注目の舞台で逸脱者であり続けているのが尊敬に値します。その姿を見ていると、私も決意せざるを得ません。
「よし、これからは一般人として生きていこう。だれがなんと言おうと、一般人を自称してやるッッ!! 一般人の定義を革新してやるんだ!!」
何のために? もちろん世界平和のためです。 (5/4)

鑑賞

思いついたことをそのまま書けなくなったら、それはこのページの理念に反する。ここは加工工場ではない。私の見解では、便所の落書きと揶揄されるあの2chでさえ洗練された加工工場です。というわけで、さっきふと思ったこと。一言で言えば、これからは鑑賞者が脚光を浴びる時代である。つまりわれわれ一般人は、すでに価値や情報の発信手段を手にした。われわれ一般人はみな芸術家となりうる。だれだって、お気に入りのキャラのイラストを描くとき、気持ちを込めないことはないだろう。──なんだか当たり前のことを言っているようだが、私の見解が画期的だと思う部分は、鑑賞者は創造者よりも数が少なくても構わない、という点にある。たった一人の聴衆のためにオーケストラが渾身の演奏をする。この図が滑稽だと思えるなら、それは生産過剰社会の価値観に洗脳されているからではないだろーか。

大量消費社会と言われるが、われわれ(←てめーと一緒にするなという非難が聞こえそう)は一体何を消費しているというのだろう。食品加工(料理)の真髄とは、素材の味を素材もともとの味以上に引き出すことである。料理漫画の美食家が料理を激賞するとき、おお、このジャガイモが育った北海道の大地は、空は、と涙ながらに叫ぶのは、素材の「味」というものは舌の味覚細胞から受容される以上のものであり、食品を加工(料理)するとは、その総体的なものを表現することに他ならない、ということを言わんがためである。だが、われわれが炭酸飲料やインスタントコーヒーを飲むとき、それらが生産された工場の風景を思い浮かべて感動するだろうか? むしろ別の意味で涙を流したりするかもしれないが。

昔は消費者といえば王侯貴族のことだった。日本において身分制度が崩壊したあとに出現したのは、身分制度から王侯貴族を取り除いただけの社会だったかもしれない。経済面においては、貴族が占めていたポストはすでに占拠されている感はあるが、精神面においては、そのポストは相変わらず閑古鳥が鳴いている。(5/3)

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